ほぼ無題

大人になっていろいろと考えてみるんですが、
論理的にものを考える環境に育ったどうかはとても大切なことだと思うんです。

英語を好きで勉強しつつも、僕はアメリカには行ったことすらないのですが。
本などを読む限り、アメリカと比べると日本では家庭and教育環境で論理的にものを考える訓練がされていないようです。

だから、以下のような意識が強いように思うのです。
「先生だから」偉い、「先輩だから」偉い、「親だから」偉い、と。
それが以下のようであれば論理的によく理解できるんです。
先生が「視野を広げてくれたから」偉い、先輩が「いろいろ教えてくれたから」偉い、親が「愛情をそそいでくれたから」偉い、とか。

なるほど、論理性を省いて、例えば年齢で順位を決めるということも、社会をまとめるための一つの方法(システム)かもしれません。
でもそうなると世の中に合理性が欠けてしまうことにならないでしょうか。

例えば親と子の関係でも、以下のようなことは論理的にものすごく矛盾してるように思うんです。

(人生に成功したら)親のおかげだ親に感謝しろ、
(人生に失敗したら)親のせいにするな、自分の努力が足りない。

(子どもの頃は)親のいうことを聞いていれば間違いないんだから聞きなさい。
(大人になってからは)いつまでも親のせいにするな。


自分の父親はキレやすく、なんにつけ頭ごなしに怒鳴りつけるような人でした。
そしてそのような環境が当たり前のように育ったわけです。
大人になって親を客観的に(一人の社会人として)見てみると、ただ単に何も考えていないだけの人でした。
もっといい親に教育されていたら人生もずいぶん変わっただろうと考えるのは単なるドリーマーでしょうか。

世の中理屈じゃない、不合理なことでいっぱいだと、そう言われる人生の達人たちも大勢おられることでしょう。
でも早いうちから論理的にものを考える訓練をされたほうが、より賢く世の中を生きられるように僕は思うのです。