読書の秋

トルストイの「戦争と平和」(新潮文庫全4巻)を読み終えた。
1年前に買ったまま放置していたのを、今から2ヶ月前にまた読み始めたわけだけど、本当に読んでよかった。
途中2巻あたりでは読んでも読んでもページが先に進まないようで、いらいらしたりもしたけど、とにかく読み終えた。
今は、この作品を一生知らないままだったら、自分にとってどれだけの損失だっただろうと思えるほどの作品になった。

同じトルストイの長編「アンナ・カレーニナ」は10年前に読んでいたけど、読んだというかただ目を通しただけだった。
何がおもしろいのかよく分からなかった。
自分に読解力がなかったのか、人生経験が少なかったのか、そのときの気分が乗ってなかったのか、理由は分からない。
トルストイにはそういう印象があったけど、この「戦争と平和」は一旦流れに乗ると、本当におもしろかった。

ピエール、アンドレイ、ナターシャ、公爵令嬢マリア・・・・
登場人物が読み終えた今でも、自分の中に生き生きと存在している。
一人ひとりの心の中の描写が細かくて、血が通っている。
僕は男なので、男目線で物語や人物を見るわけだけど、女登場人物は女性から見ても、リアリティがあるんじゃないかと思うけど、どうだろうか。
少なくとも、「風と共に去りぬ」に出てくるハリボテのような情けない男たちよりは、ずっと現実味があると思う。


戦争と平和」という題名、
たしかに、19世紀のナポレオンのロシア侵攻の戦争が主な舞台なんだけど、題名だけを聞いて受ける機械的な印象は逆に損をしていると思う。
戦争以上に、人と人、人と社会、人と人生、男と女を考えさせるような人間を扱った作品。
などと考えていたら、翻訳者(工藤 精一郎氏)による解説を読んでいると、どうもトルストイは特にこだわりなくタイトルをつけた様子。
納得。

登場人物は、想像するにおそらく当時のロシアでも人口のたかだか数パーセントだったのかなという貴族階級。
ただし、内容は現代のごく一般の組織や社会の中にも十分に置き換えられるものだと思う。
まあそうはいっても、みんな働かなくても暮らしていける連中ばかりで、常に飲んで踊って歌って恋して不倫して(!)、そんな暮らしぶりだけど。(苦笑)

長編のロシアものを読むときは、人物名と相関図を書いて読むべし。
僕はこれをずっと昔に読んだ「こち亀」で学んでいた。
この教えは本当に役に立った。
ロシアものでは名前の呼び方が一人に対して何通りかあって、途中で分からなくなる可能性がある。
そうすると読むのも嫌になるという悪循環。
この「戦争と平和」も少なくとも一巻は人物相関図を書くことをお勧めします。



それにしても、小説・文学を読むのが純粋に好きな人や、文学部の学生、出版・創作関係で仕事をしている等々、そういった人たちは数多くの作品を読む必要があるとは思うのですが、自分も含め特にそうでない人は、どれぐらいの作品を読んだらいいんでしょうか、そんなことを考えることがあります。(考えすぎ?)
というのも、時代の名作なんていくらでもあるわけですから、きりがない。
これは音楽でも絵画でも旅行先でも食でも、どんなジャンルでも言えることだと思うんです。
どこまで行っときゃいいのか?
そこで思うのが、それならば一つ二つでも最高峰といわれるもの、そこをしっかり押さえておけばいいんじゃないかと。
海外文学・小説については、この「戦争と平和」をまずお薦めしたいです。
ロシアもの、大作、歴史もの、当然そういったものに抵抗のある方もいると思いますが、案外と読みやすいですし、ドラマチックで、メロウなドラマもあり、単純な物語のおもしろさがあります。(エピローグ最後のトルストイ歴史観歴史認識について書かれた箇所はかなり難しいですが、ここは理解できる人が少数でしょう)
ただし戦争の描写は冗長でイメージしにくい、それに好みは人それぞれで、嫌いな人がいても当然だと思います。

あと、同じ小説を「読む」にしても、人によって、理解力や人生経験によって、読む「深さ」は違いますよね。
それを考えると、たとえば人生経験の浅い10代で難しい本を読むことに意味や価値があるのかと疑問に思うのですが、これは二十歳までほとんど本を読んでいなかった僕の妬みです。

かの黒澤明でも「戦争と平和」を何度も読み返して、その度に「あ、ここも読めてなかった」という箇所があるというんですから。
僕も数年後に、また読み返すのを楽しみにしています、そこまで気に入った作品となりました。


読書の秋、いいですね。
出かけのカバンにはいつも内容問わず必ず一冊は本が入っている。
男でも女でも、そういう人が僕は好きです。