散ってゆく秋に

全国的に雨模様だったようですが、大阪も一日中雨が降っていてすごく寒かった。

例のごとくパソコンの前に座ってネットかDVDを見るか、あとは本を読むかぐらいしかすることがなかった。
昼すぎから、行く当てもなく車でぶらりと出かけることにした。
相棒(柴犬♀6歳)連れ。


単なる思い付きで大阪から奈良・和歌山あたりへ行くことにした。
大阪と奈良、和歌山の県境には山が連なっている。
自然物の県境。(←こんなような表現をどこかで読んだ)

これも単なる思い付きでほとんど走ったことのない峠道を走ってみることにした。
普通に大阪から奈良へ行くのには、まず利用しないだろう国道310号線を選ぶ。

雨も降っているし、後ろからも車は全然来ないし、道も知らない上にグネグネだし、犬は乗ってるし、
スローにスローに安全運転。

上って上って、大阪奈良の県境あたりの最高地点で650mぐらいに達していると思う。ちょっとした山登り。
舗装も道路の整備もちゃんとされていて、いわゆる「酷道」というわけじゃないけど、
全然車も通らないし昼間だというのに、静けさと寂しさに背中がゾクゾクした。

想像してみると、交通機関のなかった昔の人は歩いて山を越えたんだろう。
特に女性だけの山越えっていうのは、おそらくなかっただろうな、危険だ。
とすると、必然一生のほとんどを自分が住んでいる地域を出るということはなかったのかもしれない。
峠越えはともかく、例えば江戸時代の東海道なんかは女性だけで歩いて旅をするなんてことがあったんだろうか?
そういえば、詳細は忘れたけど森鴎外の「山椒大夫」は女性と子供だけの旅だったはず、やはり危険だ。

そんな想像をしつつ、強い雨が車の天井に当たる音に、モーニング娘。のライブDVD「プラチナ 9 DISCO」を流しながら走る。

こんな山を入ったところにもお寺があるとの看板あり。
なるほど、こういう山寺が本当の意味での寺なんだろうと、勝手に納得。
そうしないと世俗から離れないで煩悩も離れられないだろうから。
(それを考えると京都のお寺の多さはいったいどういう理由があったんだろうか。)
今はともかく、昔はこういう場所の山寺に何年もいたら本当に仙人みたいな境地になったのかも。

ブロロロロ・・・



* * * *
今日思い出した歌。

「散ってゆく秋に 都会はもうはや冬の色です
 通りゆく人は だれも皆一人」

岡村孝子 - Lover My Love

この曲が収録されている、アルバム「Andantino a tempo」は、
企画アルバムではあるものの、岡村孝子のアルバムで1、2番に好きなアルバム。
1曲目の「未知標」はじめ、エレピの音がいいんだ。
ただ、男がセンチ(←死語?)すぎる気がして誰にも言ったことはない。