旅と音楽(7)

三重県松阪市飯高町

 

と聞いてピンとくる人はほぼいないと思います。

もし分かるとすれば名映画監督の小津安二郎の相当なファンでしょう。

小津安二郎は代用教員として一時期そこに赴任していました。

 

そこへ車で行ってみたことがあります。小津映画を観るのは好きですが、主な目的は「知らない街を歩いてみたい」でした。

電車の車窓からでもそうですが、自分がそこに暮らしたらどんな生活や人生になるんだろうかと想像するのが好きです。

 

ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」(1962)

作詞:永六輔 作曲:中村八大

 

当たり前ですが、ごく普通の山村でした。

しかし情報の少なかったその時代、かつ松阪からでも何時間もかかるその山村に"ハイカラ"なセンスを持った先生は、きっと新鮮で子供には影響もあったことでしょう。

ちょうど宮沢賢治のことも思い出します。

 

さて、空気や雰囲気も感じたしもう行こうかとしたところ、小津安二郎の資料館の看板が目に止まって、車を折り返して行ってみました。

地元の有志の方々がされているような小さな資料館(室)でしたが、丁寧でいろんなものが集められていて面白かったです。

 

そこでちょっとした発見がありました。

小津安二郎の時代の子供たちが読んでいた雑誌なども展示されていたんですが、戦後の世代は子供の頃から外国の文化も浸透している中で育ちましたが(今のグローバル化はまた別次元です・・)、小津安二郎(1903年生)の世代以前の子供たちは日本独自の文化の中で人格を形成していってるんだなあと。

当たり前のようでその違いは大きいんじゃないかと思います。

ひいては、海外でも有名な日本の映画監督といえば、今でも小津安二郎黒澤明(1910年生)、溝口健二(1898年生)がまず上がると思いますが、感性の面で今の人にはない日本的な美意識がより濃くて独自性を出しているのかなと想像しました。

 

 

話は変わって、、松阪といえば松阪牛がまず有名ですが、ハロヲタの自分的には松阪のライブハウス「松阪M'AXA(マクサ)」を思い出します。純ライブハウスというよりレストラン・バーでちょっとアメリカンな雰囲気なんですが、そこでのライブはアットホームで本当によかったんですよね。。

なので、この時そのライブハウスにも行ってしばし思い出に浸りました(笑)