およそ1年前に米アマゾンで買ったキンドルでシャーロック・ホームズ全集を英語で読んでる。
牛の歩みほどの速度で読んでるので、1年半ぐらいですべて読み終えたらいいぐらいの気持ち。
今読んでるのが、短編集『シャーロック・ホームズの冒険』の「ボヘミアの醜聞」。
やっぱり、ホームズはいいなぁぁぁ、最高やと読みながらしみじみしてる。
この話に出てくる女性「アイリーン・アドラーは、ホームズが「あの女性 (the woman)」とただひとり定冠詞をつけて呼ぶ特別な存在である。」(ウィキ)
ホームズにはそもそも女性の影というものがない、
男の自分から見て、ホームズのそういう超然としたところがまたカッコいいところなのです。
ホームズと、そして助手のドクターワトソン、二人とも自分にとってはクールなヒーロー。
それはそうと、グーグルでホームズとワトソンを調べようとすると、
検索上位に、二人が仕事や友情を超えた特別な「関係」にあるような項目が来て困る。
自分には微塵もそういうことは読み取れませんでした。(^^;
そもそもこの話題は、女性発信だと思っているのですが。
女の人はそういう想像が好きなのでしょうか・・・実際どうかは分かりません(個人差?)。
キンドルには英辞郎(英和辞書)を入れて読んでいます。
これは使える、買って正解。キンドル一台ですべて事足りるのが、電車の中でとくに立って読むのにいい。
自分の英語理解力では、判断する資格もないですが、
100年以上も前の英文にしては、シャーロック・ホームズは読みやすいほうだと思う。
それが、ホームズシリーズが文学作品でなく大衆小説だということかも知れません。
そんなことを考えていて思い出したのが、これも自分が好きな「赤毛のアン」。
なんとなく児童向けのイメージがありますが、5年前に英文でトライして読んでみましたが、難しくてまいった。
そういう意味で「赤毛のアン」は文学作品なのかもしれません。
しかも原文の持つ英語の薫り高さやユーモアが理解できないせいか、正直おもしろくなかった。(苦笑)
そこでさらに思うのですが、日本でこれだけ「赤毛のアン」が人気があるのは、
結局は高畑勲の世界名作劇場のアニメが面白すぎたからではないかと。
実際に自分も、20歳ごろに再放送で全編見たアニメ「赤毛のアン」が面白すぎてアン好きになったわけです。
そこからこれもよかったんですが、村岡花子さんの翻訳でシリーズ4冊目ぐらいまで読みました。
(正直それで十分だと思っているのですが、ファンとは言えないでしょうか)
英語学習にとカナダ映画のDVDも持っていて30回ぐらい見てるかもしれませんが、
メンタリティの違いでしょうか、リアルなアン・シャーリーは結構皮肉屋な印象でそれほど親しめない。(^^;
やっぱり心のアンは、山田栄子さん演ずるアンだと自分自身は思っています。
そして高畑勲さんは、相当音楽に造詣が深い方のようで、高畑作品は音楽がいつもいい。
言うまでもなく「赤毛のアン」のオープニングとエンディングは名曲ですよね。
オープニングテーマ - きこえるかしら
エンディングテーマ - さめない夢